※この展示は終了いたしました。展示の様子はこちらをご覧ください。→深川展作品紹介ページ


福山桂子第6回陶芸展「広島、1945・8・6」



「家族の体験に重ねて、広島、原爆、いのち、を語る」

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 北海道深川市経済センター2階、深川アートホール東洲館で8/2−14に陶芸作品を展示します。同時に市民の方々が、被爆写真展も開催されます。

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 わたしは、2歳から26歳まで広島に住み、家族や教師から被爆体験を聞きながら育った札幌の小児科医で陶芸家です。

 医学生時代にイギリスに留学していた時、クラスで原爆について話をした際、クラスメートから「原爆により戦争が終結し、連合軍兵士の命が救われた」と反論され、その後40年間原爆について語れませんでした。原爆を陶芸で表現し語っていくようになったきっかけは叔母の病気と死でした。叔母(淑子:よしこ)は当時17歳で爆心地から2.2kmで被爆します。骨髄異形成症候群(被爆量が高いほど発症率が高く、正常な血液細胞が造られなくなる病気)による貧血になります。5~6年の貧血を経て、最後には急性白血病になり2019年に亡くなります。この事実から、怒り、悲しみとともに、「60年後に、なぜ?」という想いがうまれ、表現へ向かい、語り(ウェブ上での発表)につながっていきました。

 白血病の叔母を思う中で、叔父(敬文:としふみ)のことを、考えるようになります。当時14歳だった叔父は爆心地から1.3kmの屋外で建物疎開作業中に被爆します。叔父の父(わたしの祖父)は、叔父を探し回ります。救護所にいた被爆者の多くは顔が判別できないほど全身が焼けただれていましたが、身に着けていたベルトの留め金でやっと息子とわかりました。祖父は瓦礫と火災の中を、息子を背負って帰宅しますが、叔父は2日後に亡くなります。戦後25年たったころ、動員されて被爆死した学徒に対する叙勲が行われました。鈍い銀色の勲章と賞状が送られてきましたが、それに対し、いつも寡黙な祖母が「こんなもの!」と激しい怒りを示しました。その時初めて、母親としての祖母の悲しみを見たと感じました。


 祖父の視点を想像しながら創作した作品(「敬文と淑子」)や、原爆炸裂時や直後を想像して怒りを込めて創作した作品などがあります。作品それぞれに込めた思いと表現の意味言葉でも説明し、解説をつけました。         

 叔父の敬文は広島・長崎の多くの死者の、ただの一人に過ぎません。何十万人もの死者は想像することすら難しい。しかし、これからも自分の人生の時間と競争しながら表現を試行錯誤し、戦争や原爆を忘れず、考え続けたいと思います。


 今回は深川という北海道の真ん中で展示する機会を得、皆さんに見て頂く機会を得られ、有り難とうございました。今後とも、応援御願い申し上げます。


2022年8月                   

福山桂子

Keiko Fukuyama 2023 © All rights reserved.
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